続・言葉の力

「ヒントになる言葉」の続続編です。

ご紹介するのは自分の身体と心を建て直す助けになったものばかりで思い入れはきついのですが、出来るだけ修飾語を付けないようにご案内したいと思います。

<目次>
NO.1 シーゲル博士2
NO.2 シーゲル博士3
NO.3 シーゲル博士4
NO.4 シーゲル博士5
NO.5 シーゲル博士6
NO.6 シーゲル博士7(完)
NO.7 考えすぎと感情
NO.8 死を看取る
NO.9 人生はゲーム
NO.10 イメージするものは実現する

「続々言葉の力」に続きます。 続々言葉の力

<NO.1シーゲル博士2:01/12/4>

「例外的患者は−例え医者にそれが出来なくても−私は生きるという信念を持って統計をはねつける能力を持っている。治癒の前例がないガンを克服するためにはどれだけ勇気がいるか考えてみてほしい。」(「奇跡的治癒とは何か」日本教文社刊より)

例外的患者とは医者の診断をたよりにせず、自分の病気は自分で調べ治療方針も自分で決めて行く人達のことです。「あと**ヶ月の命です。」と宣告する医者達にたいするメッセージとして彼は書いていますが同時に患者に対するメッセージでもあります。彼は奇跡的な治癒を起こす人達を「例外的患者」と敬愛をこめて呼んでいます。

<NO.2シーゲル博士3:01/12/12>

「その患者の信条や生きざまに触れる医者はほとんどいない。しかし、私が調査してみると、治癒する患者はより愛情がこまやかに、より寛大な心を持つように、驚くほどの変わり様を見せている。しかし、患者は、心を閉ざした医者には滅多にそういう話はしない。」(「奇跡的治癒とは何か」より)

今の2時間待ちの2分診療では医師としてもやりようがないし、患者も苦痛だけとって欲しいくらいしか望んでいない。そして双方ともお互いを信頼することなどあまり考えてもみない。どちらが悪いと言う問題ではなくて、お互い様だから仕方ない。しかし着実に医療費は増大して行く。これを考えるのが医療改革だと思うのだが・・。
先送りのつけが大不況を招いたのを見ても尚、続ける不思議。そして、奇跡的治癒の実例を研究する医学がないことの不思議。

<NO.3シーゲル博士4:01/12/28>

「私が第一にすべきことは患者の心を平穏にすることだと思う。つまり広い視野に立って自分の体の問題を見つめることだ。病気の回復だけが目標ではない。それよりももっと大切なことは、怖がらずに生き抜いて平和な生活をして究極の死を迎えることだ。そうすれば治癒への道も開ける。そして人は誤った強がり−人はどんな病気も治せ、死ぬこともないという−からも解放されるのだ。」

昨日、息子が面白いことを言った。「どんな偉人にも悪人にも平等に与えられているのは死だ。」
僕も若い頃、死について何度か考えた。でも日常生活の中でそれは次第に埋没し、のんべんだらりとした人生の過ごし方をしてきたような気がする。病気はそうしたことに対するメッセージだと最近特に思う。

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<NO.4シーゲル博士5:02/02/11>

「死を覚悟した私は自分に言い聞かせた。
 −−よし、最悪の事態となったが2つの方法がある。・・・惨めな死刑囚のように死ぬまでの1年間を泣いて暮らすか、それとも人生から出来るだけ多くを搾り取って暮らすかだ。−−私は後者に決めた。(中略)すると不思議なことが起こっていた。1年経ち2年経ち、3年経った。ホラどうだ。私はラッキーな例外になっていた。」(「奇跡的治癒とは何か」より

これはセリエという「ストレス」という言葉を世に送り出した著名な医学者の言葉をシーゲル博士が引用している。セリエはほとんど治る見込みのないガンに犯され後1年の命と言われこのことを誓った。そしてその結果は3年経っても生きていた。シーゲル博士はこう書いている。「ストレスにいかに対処するかがストレス自体よりも重要である。」

この1年、僕はホメオパシーを本気で勉強し始めたが、その先人のことばにもこれに関したことが出てくる。「人にとって最大の毒は死の宣告である」死の宣告とは医師の診断であり、それを科学的根拠の元に患者に伝える事である。
セリエ博士の例外を例外としてはならない。これを考えるのが医学ではないのかとシーゲル博士は言い続けている。

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<NO.5 シーゲル博士6:02/03/06>

「私はどの患者にも「もしも、あと1日、あと1週間、あるいは1年間の命だとわかって、何かを選ぶとしたら、自分が正しいと感じるであろうことを優先しなさい」と言う。
こうするとたとえ自分の気持ちについて考えてみたことがない人でも、自分が今何を感じているかを即座に知ることが出来る。そんなに長く生きられない場合、(中略) 今すぐに心のあり方を変えねばならない。その最善の方法は、この短い時間に何をしたいかを自分に聞くことである。」

先週、久しぶりに以前勤めていた会社に行き、後輩の死を知った。白血病であったらしい。彼は近づく死を前に何を思っていたのだろうかとふと考え込んでしまった。昔、一緒にゴルフに行ったことが思い出される。ご冥福を祈りたい。

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<NO.5 シーゲル博士7:02/04/11>

「意識的な心の世界では光は役に立つ−しかし、われわれは無意識の暗闇の中で治癒のための方法を探さねばならないのだ。医師は明るいところで働く。彼らは弁舌爽やかで理路整然としている。
一方、患者の世界は真っ暗かも知れないが、灯りをともす手段はある。人間はそれぞれの体に火花を持っている。神の火花と呼んでもいいだろう。その火花は存在し、健康への道を照らす。治せない病気はない。ただ治せない人間がいるだけだ。」(奇跡的治癒とは何か/シーゲル博士)

医師の役目は患者自身の火花の存在に気づかせること。これは僕自身の体験からの信条でもある。何回にもわたって、しつこくシーゲル博士の言葉を引用させていただいた。まだまだ引用したいことは山ほどあるのだが、一旦ここで終わりたい。皆さんにも是非御一読頂きたいと思う。

彼はガン専門の外科医だが、そこから奇跡的に生還する人達の姿から医療とは何かを見つめ続けた方であり、病気に対するこれまでの考え方の根本的な誤りに警鐘を鳴らしてくれた。
まさに「治る力は内にある」ことを証明しているとも言える。

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<NO.7 考えすぎと感情:02/04/30>

「ゾルバはそのイギリス人にこう言った。
 「そこがあなたの厄介なところだ。賢い人間と食料品屋ってのはなんでも秤にかけるから困る。」
考えることが何より大切だという考え方を捨て、感情を優先させることにした。」(「パッチ・アダムスと夢の病院」主婦の友社)

これは映画でも有名な米国の医師パッチ・アダムスの回想である。彼は若くして精神病院に入るがそこで出会った患者から学ぶことで精神病を克服して本物の医者になった。

僕自身考えすぎる質だった。それも特につまらないことを。病気をするとこれが一番の障害になる。ものごとへの疑問がいつもないと自分が理性的ではないような錯覚に陥る。でも、これがもたらすものは自分の身体への不安・怖れであり、「理性的」な医師だけを信じてしまう結果、治癒の可能性をひどく狭くする。つまりこれが病気をもたらし、治りにくくしている原因にまでなっていたことに気づいた。

中途半端な教育を受けた僕らは科学や知性だけが良いと考えているが、それでうまくいく例などあるのだろうか? 本当に追いつめられた時に頼りになるのは感情や第六感だと思う。理性はあまり役に立たない。

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<NO.8 死を看取る:02/05/04>

「医療は死を看取ることから始まったのだと、わたしは信じている。医者は、人生最期の節目を、その人にとって素晴らしい瞬間にすることができるのである。」(「パッチ・アダムスと夢の病院」より)

あなたは身近な方の死を看取ったことがあるだろうか。僕はない。それでなかなか実感がなかったのかも知れないが、人は誰もがいつか死ぬ。
ようやく僕が実感したのは自分が死にかけた7年半ほど前だが、もうあかんと思った時、自分のそばにいて欲しいと思ったのはやはり家族や親友である。そしてもう一人、心から信頼出来るお医者さんにもいてもらいたいと思った。

彼に何をしてもらいたいのかいまだに想像出来ないが、延命治療ではなく、ギャグのひとつも言ってもらえたらと願っている。叶うことなら僕はそのギャグで笑いながら今世を終えたいと思うが、それは贅沢だろうか。

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<NO.9 人生はゲーム:02/05/16>

「あなたは人生は戦いだと考えていませんか。でも人生は戦いではなくゲームなのです。
人生はゲームですが、それは霊的な法則の知識なしにはうまく遊ぶことができません。そして、旧約・新約聖書には、そのゲームのルールが驚くほど明解にはっきりと示されています。イエス・キリストは、人生は与えることと受け取ることの素晴らしいゲームであるとお教えになりました。」
(人生を開く心の法則/フローレンス・S・シン=たま出版)

僕がこの本を初めて手にしたのはまだ歯を食いしばって病気と闘おうとしている時分のことだった。この本にどれだけ助けられたか分からない。この言葉は最初のページの出だし文である。
意外にも著者は宗教家ではなく、イラストレイターである。1925年に出版されアメリカでは今も尚読み継がれている超ロングセラーである。日本では1995年に発刊されたが今は絶版であるらしい。

しばらく、この本から言葉を拾っていこうと思う。

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<NO.10 イメージするものは実現する:02/06/09>

「私はある病気を怖れている人を知っていました。その病気はとてもまれな病気で、かかるのも難しいと思われるほどのものでしたが、彼はその病気を心に描きつづけ、 それについての本を読み続け、そしてついにその病気は彼の身体に実現化し、彼は死んでしまいました。彼はゆがめられた想像力の犠牲者です。」
(人生を開く心の法則/フローレンス・S・シン=たま出版)

端から見るとバカみたいな話ですが、これは僕らが日常やっていることそのものだと思います。僕はこの「怖れ」こそ最大の敵だと思うようになりました。最近はやりの健康関係ビジネスもこの「怖れ」を過剰に駆り立てるものには賛成しかねます。

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